第92話   釣の面白さ   平成16年04月07日  

去年と今年では同じ日に釣れた場所に行っても、釣れるとは限らない。気温、潮、濁り風が毎日異なるし、海底も昨年とは違っている事があるからだ。

マルッキリの初心者が、ベテランを差し置いて大物を釣り上げることなんて事もままある。

ベテランだから必ず釣れる、初心者だから釣れないなんて事はない。ただ、確率的にベテランが釣り上げることが多いだけなのだ。値段が高い最新式の釣具だから必ず釣れると云う事もない。そんな釣具があったら、皆その道具を買うだろう。ヨレヨレの格好で古い釣具を使っている人にだって釣れる時は釣れる。初心者が太い糸を使っていても釣れる時は釣れる。釣なんてそんな物だ。

世の中には、釣の名人と呼ばれている人が沢山いるが、そんな人だって中々釣れない事もある。ただ、釣れない時にでもどうしたら釣れるかという事が分かっていらっしゃる人たちが通常釣の名人と云われている。名人とベテランではおのずと違う。良く勝負は「時の運」と云うが、まさに魚の目の前に餌が届いて、たまたま大物が食ってしまった。これが、初心者がベテランを差し置いて大物を釣り上げてしまう真相である。運が良かったからと云えばいいのか、たまたま偶然に座った位置が良かったと云え、結果的に其の両方が良かったと云える・・・?のではないか。

世に名人と呼ばれる人は、初めて挑戦した場所でも、良く地形を見て魚が付く場所を判断する。如何にしてその魚を居場所からおびき出し、釣れるチャンスを自分で作るかと云う釣をする。魚の居場所に、たまたま餌を落としたら食ってしまったと云うのと、居場所が分かっていて魚をおびき出し餌を食わせるのとでは結果は同じであっても、異なるのは一目瞭然である。この違いを良く認識し、経験と勘を働かす訓練が上達への早道となる。講釈をなんだかんだと述べても釣の世界は自己満足の世界である。

しかし、長年やっていても釣は面白い!!

釣れない時に、何故釣れないのか?

釣れた時は、何故釣れたのか?

日々反省の毎日である。

大きい魚を釣りたい。数も釣りたい。魚を上げれば上げたでまた行きたくなる。そんな訳で釣り人の欲望は切りがない。釣とはそういうものだ。釣り人の大半が初心者のままで終わってしまうが、初心者から中級者そしてベテランになり、ベテランがやがて風格が備わり名人へと変わる。初心者には初心者の面白さがあり楽しさがある。自分は生涯「初心者」たるを貫き、初心者の釣を思いっきり楽しみたいと思っている。